虹伝説

「天と地と海が交わる場所」天橋立。        
その根本
江尻海岸に一人の男の伝説がある   
「虹のおじさん」故 椋平廣吉氏。

彼が17歳の時、対岸の黒崎という岬の上に
虹のきれはしのような雲を見つける。

これが、以後72年にもわたる椋平虹伝説
のはじまりである。


「予知的中」

  虹を見た時から3日のうちにどこかで地震がおきる。

そのことに気がついた椋平氏はこの不思議な虹の観測をはじめた。

時は流れ、昭和5年11月25日昼過ぎ、天橋立郵便局から

京都帝国大学あてに
奇跡の電報が送られる。

受取人は帝大教授石野又吉氏、電報の内容は次のようなものであった。

「アスアサ、ヨジ、イヅニテ、ジシンアリ」

その言
葉通り、昭和5年11月26日午前4:03、北伊豆大地震が発生、

死者の数223名、 震度6という未曾有の震災であった。

彼の予知的中は瞬く間に全国に伝わり、以後数多くの学者・マスコミ等で「椋平虹」論争が

巻き起こる。 その後も関東大震災、丹後震災等、虹で予知しみごと的中。

(関東大震災は電報で東京に送るも受け取り側が火災で焼失、ただ、
前日に送った事は間違い無い)



「観測方法」  

驚くべき的中率をほこる「椋平虹」、  その観測方法は実にユニークなものだった。  

まず、黒崎の一番高い山を縦軸に、水平線を横軸にとり、

観測板の上にセルロイドの分度器を固定、そいつに虹の姿を書き込むというものである。

虹の形で震源の方向が、長さで震源までの距離が 色の濃さで地震の規模が、

虹の出ている時間で何時間後に 発生するのかが解かると言うのだ。 

一見稚拙に見えるが 観測点の緯度、経度を測定し、一日3回という

定点観測から統計的に出されたデータによって25%もの 的中率を誇っていた。


「批判」

しかし、学者から見れば誤差が多すぎるなど正確さに欠け、

椋平の理論は派閥の強い学会に受入れられるハズも無、妄想、ペテン師、

霊感の類と片付けられてしまった。それでも椋平は虹の観測に情熱を注ぎつづけた

虹だけでなく、気候、気温、気圧等のデータも記録し続けていたのである。

 何人かの学者やマスコミ などが椋平氏のもとを訪れ、「虹は一度も出なかった」と

吹聴した、だが、7万回以上にも及ぶ観測を続けてきた経験 から出た予知を

完全否定する事はできなかったのである。



「トリック・・・晩年のあせり」  

少し虚ろとなった晩年には、長年にわたる観測の結論を急いだのか、

予知の的中のみにこだわり、 えんぴつで書いたハガキを自分宛に出し、

それをいくつか貯めておいて、地震があると翌日知合いの家に自分で 投函し、

消印の日付を根拠に予知的中の証拠とするといったトリックが明るみになり、

その結果、彼自身の研究全てに「ウソ」の烙印を押されてしまう。

だが思い出して欲しい・・・

最初の頃はハガキでは無く、電報で地震予知の連絡をしていたという事を… 

彼が無くなった今となっては真実はナゾのままである。

ただ、阪神大震災をきっかけに前兆現象についての研究が盛んとなり、

一部の観測団体では「椋平虹」は地震雲などと同じように科学的に根拠

がある観測方法として取り扱うようになってきている。



「夢・ロマン」  

虹による地震の予知…という事になるとどうしても話しが科学的で硬くなってしまう。

しかし、そこには一人の男が見つづけた70年もの夢やロマンがつまっているのだ。

あなたも人生の中で、何かに行き詰まったり悩んだりする事がたくさんあるだろう。

そんな時、あきらめるのは簡単だ、解からないなら、解からないほうがいいのかも

れない。 知らなければ幸せ…そんな事もあるだろう。  

でも、自分が今ぶつかっている何かを知ろうとしなければ新しい発見はできない。

それはずっとわからないままかも知れない,,, まったくムダな努力かもしれない,,,

だけど、そんな時ここに来て想って欲しい。

一生をかけて未知なる虹を追いかけた あの男の伝説を…。

あなたの何かを虹にみたてて、丹後の空に探して欲しい。

そうすれば、きっと前に進もうとする自分に会えるハズだから…。