北野(天神神社)
北野(天神神社)
丹後知行国主であった平重盛勧請したものとされ、享保11年(1726)刊『丹後国天橋立之図』には、重盛が「小松殿」と呼ばれたことから、在国中の居館が置かれたこの地を小松といったと解説されている。

「北野」という表記から、本社の京都・北野天満宮と同じく火雷天神(菅原道真)を祀っていたものと思われるが、『丹後旧事記』には天少彦命が祭神と記されている。丹後府中と平家のつながりは平清盛の祖父、正盛が天永元年(1110)丹後守に就任した事にはじまる。その後、平清盛の嫡男、平重盛が丹後を知行国とした。

北野(天神神社) なお、地誌類では「天神社」と表記されているが、現在は「天神神社」を正式な名称としている。また、「北野」も付近に小字名として残っている。『丹哥府志』には府中の中野村に右大将社があるとし、丹後侍従とよばれた平忠房が父親の重盛を祀ったと記しているが、社の所在は不明である。