一宮・大聖院
一宮・大聖院
一宮・大聖院 丹後国一宮の籠神社。海岸に大きな灯籠が立ち、三蹟の一人、小野道風の筆と伝わる「正一位籠大明神」の扁額(現存)を掲げた両部鳥居や、朱塗りの社殿が描かれている。右手前は、文明5年(1473)に一宮供僧・智海が守護一色義直を大檀那として開いた「大聖院」。

周辺には「忘橋(高橋?)」や「忍橋」といった石橋がみられる。「嶋堂」は小字が残り、現在も例祭の葵祭において大神楽や太刀振を奉納している。『智海請文』によれば、智海は長禄3年(1459)から一色義直の護持僧を務め、以後15年間に渡って義直親子の為に護摩・祈祷を施した。文正2年(1467)には大谷寺境内に板碑(現存)を建立、あわせて不動明王像(現存・黒不動)を造立し、後に大聖院に安置している。智海は神道についての造詣も深く、籠神社の縁起である『丹後国一宮深秘』の制作にも深く関わっていたと思われる。

また、生涯に十万余体を描いたと自称するほど不動明王に執着し、中でも明応9年(1500)年に守護代の延永春信を大願主とし、自らが惣奉行となって造立した智恩寺多宝塔の「来迎壁背面嵌板」に描いた不動明王像には「智海八十余歳書之」と記しており、その思い入れの深さが感じられる。多宝塔は明応10年に完成、その2〜3年の後に没した推測されている。