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▲中野地区にある国印と府庫の鍵を祀る神社、印役社(飯役社)。

【国府・守護所としての府中】
国府 とは、その国の役所(国庁)と、関連施設(国衙)を含んだ中心地域ことで奈良〜平安時代にかけて全国に配置されました。また、国府や鎌倉・室町時代の守護所が置かれた土地を 府中 とも呼びます。

丹後国においては、国府は天橋立を見渡せる景勝の地(現/府中地区)に営まれたと思われ、大垣地区にある 丹後一宮 元伊勢籠神社 や、中野地区にある印役社(飯役社)という国印と府庫の鍵を祀る神社、国分地区にはその名の由来となった 丹後国分寺の遺跡 があるなど、古代丹後国府の記憶が今に残されています。
なお、国府の地に選ばれる具体的な条件は国によって異なりますが、都と同じく「四神相応」の地であるとか、風水の良地という場合が多いようです。

当地においては、
南の水場=内海(阿蘇海)、北の山=成相山、東の流れ=真名井川、西の道=山陰道への官道
という図式があてはまり、風水においては天橋立も含めた良い地相であるとのこと、まさに物心両面において優れた土地、それを象徴するかのようにちりばめられた数多くの神社・仏閣・祠、現代風に言うなら全体が大きなパワースポットといったところでしょう。




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