謎6
『天橋立図』は、寛政12年(1800)土佐藩山内家の江戸藩邸にあった。門外不出であったが、秋田藩佐竹家が頼み込んで原寸模写を行なっている。徳川家が完成作を持っていて焼失したという話もあるが、信憑性に欠ける。地元では籠神社や成相寺にあったという説も話題になるが、他の絵と混同している可能性も否定できないようだ。最新の研究では、パリのギメ美術館収蔵の「天橋立図」が完成作の写しではないかと注目されている。