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▲小倉百人一首 六十番、小式部内侍の歌。

【平安の都人、憧れの地】
歌枕とは、和歌を詠むときに使う地名を指します。ただ、実景を見て詠むのではなく、旅人の話や物語などの情報によってつくられた空想の景観であることが多かったようです。
天橋立も歌枕。「音に聞く理想郷、生涯一度は見てみたい。」と誰もが願いますが、都から三日という遠さに憧憬を募らせるばかり。殿上人たちは宮中で開催される歌合せのつくりものや、自邸の庭園に模した天橋立を見ながら歌を詠んだといいます。

そんな時代、夫である丹後守藤原保昌とともに天橋立・府中に赴いたのが、中古三十六歌仙の一人、和泉式部
橋立の松の下なる磯清水都なりせば君も汲ままし
と天橋立に湧き出る 磯清水 を詠った歌が残されています。

この歌の君とは誰か?定かではありませんが、都に住む娘へ宛てたものではないかという説があります。 その娘というのが小倉百人一首 六十番
大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立
で知られる 小式部内侍。 当時、小式部内侍の歌は見事だが、母である和泉式部が代筆していて、天橋立から手紙をよこしているのでは?という噂をネタにからかった藤原定頼を、巧みな掛詞で当意即妙に返歌し、やり込めたという逸話はあまりにも有名です。
平安の都人にとって天橋立は、遠くて近い存在だったようですね。




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