ホームへ 歴史トップへ


▲義満が「宇宙の玄妙」と評した文殊山から見た天橋立の眺め。

【将軍が愛した天橋立】
室町幕府の三代将軍といえば、言わずと知れた足利義満。しかし、彼が六度も天橋立を訪れた事は意外に知られていません。
文殊山から見た天橋立の姿に感動した義満はこれを「宇宙の玄妙」と評したといわれています。
宇宙とは全空間を意味し、玄妙とは深い趣という意味で、最大級の賛辞であるといえるでしょう。

この頃、義満お抱えの能役者で観世流の始祖・世阿弥も当地を舞台にした能「丹後物狂」をつくっています。
室町時代は天橋立に関する伝承が再構築され、新たな文化が生れた時代。天上の神々の物語、龍神伝説、そして能の名場面。そのどれもが権力者や数多くの宗教者の手により、神仏の聖地としての天橋立=今も語り継がれる「天橋立伝説」が形成されたと考えられます。

一色氏の守護所であった中世の天橋立・府中は「丹後の都」と呼ぶにふさわしい風情でありました。
白砂青松の天橋立を囲むように配置された古社・名刹の数々、ひしめくように立ち並ぶ家々、応仁の乱によって、荒廃した京都とはまるで別世界の光景。 そして精神的バックボーンとしての「天橋立伝説」。 それは平安時代からイメージが先行していた理想郷が現実となって表れた瞬間でもあったでしょう。
そんなある日、一人の禅僧が当地を訪れます。名を雪舟等楊。後に画聖と讃えられるあの雪舟です。




雪舟「天橋立図」を旅する ▲スペシャルコンテンツ・雪舟「天橋立図」を旅する。パンフレットを片手に天橋立・府中のまちを旅をしませんか?▲