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国宝 天橋立図(京都国立博物館)





▲日本絵画史上、最も謎が多いと言われている天橋立図。「23カ所の書き込み」は拡大でご覧いただけます。


▲天橋立図内の籠神社(拡大4)
成相寺(拡大3)・智恩寺(拡大2)など古社・名刹は、墨絵であるのに朱色で塗られています。

【国宝 天橋立図に描かれた府中】
雪舟等楊。画聖と讃えられる室町時代の禅僧にして絵師。
幼少の頃、涙で描いたねずみが動き出したという逸話が有名ですが、六点もの国宝、数多くの重要文化財に指定される彼の絵の中でひときわ異彩を放っている作品が、国宝 天橋立図(京都国立博物館)。畳一枚分もの大きな絵には「丹後の都」としての天橋立・府中の姿が詳細に描かれています。

一見すると写生のように見えるこの絵、ところが日本絵画史上、最も謎が多いと言われているのです。
まず、全体は一枚の紙に描かれているのでなく、寸法の異なる20枚の紙を貼りあわせていること。
また、落款も印章もないので下絵と考えられていますが、本当に雪舟が描いたかどうか不明でした。

さらに、製作時期は1501(文亀元)年より後の、雪舟82歳以降という説が有力ですが、雪舟のアトリエがあったのは周防の国(山口県)。人間50年と言われた時代にそんな高齢の老僧が、遠路はるばるやってきて、しかもこんな大きな絵を描けるのか?そもそも何の為に?誰に頼まれて?これがまた分からない。
しかも画面手前に高い山など無いのにどうしてこんな鳥瞰的なアングルで描けたのか?
驚くべき事に上空900mから見るとほぼこの構図に重なるという!!!?

また、絵の中をよく見れば23カ所の書き込みがありますが、当時現存していたはずなのに描かれていない寺社もある一方で、籠神社成相寺,智恩寺などの古社・名刹は墨絵であるのにわざわざ朱色で塗られています。
これは、天橋立図のテーマがこの三所と天橋立=神と仏の交わる空間であるからと言われています。
画面の中央に横たわる天橋立を、水路を隔てた智恩寺境内の文殊堂をはじめ、多宝塔石仏、更に能「丹後物狂」に登場する身投げ石という岩まで描き込まれています。

天橋立の根本には大松と書かれた巨大な松、府中には丹後一宮である籠神社をひときわ大きく、さらに観音霊場として多くの人々の崇敬を集めた修験の本拠地である成相寺も険しく高い山の上に描かれています。
麓には今に礎石のみ残す国分寺や、地名だけに面影を留める足利将軍ゆかりの安国寺など、500年前の当地の姿が細やかに記録されているのです。

他にも書ききれないほどの謎を秘めたこの絵、中世水墨画で一般的であった中国風ではなく、日本的な美意識で日本の実景を描いた画期的な作品として、雪舟最高傑作の一つとされ、1934(昭和9)年に国宝に指定されました。 雪舟と天橋立図の謎は多くの研究者を魅了し、今も活発な研究が進んでいます。

いろいろな説・推論(雪舟はスパイだった!というものも)ある中で、ひとつだけ言えるのは雪舟が天橋立について細やかに情報収集をしていたということ。でなければこれだけ緻密な絵は描けないでしょう。そして、その情報の中には例の「天橋立伝説」もきっちり織り込まれていたであろうこと。 もしかしたら、天橋立図とは雪舟監修の、目で見る天橋立伝説なのかもしれません。

現代の旅人の皆様!この雪舟が描いた国宝の絵を片手に、500年前の理想郷にタイムスリップしてみませんか? 絵の中を旅する楽しさがきっとお解り頂けると思います。




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